「陛下を襲った敵の正体は判明したのですか?」
ロレンシアは本題に切り込んだ。自爆した女を目撃したのは三人。一人はベルゼフリート。もう一人はユリアナ。しかし、実際に交戦したハスキー以上に敵を知る者はいない。
「特定できていません。分かっていれば帝国軍が総力をあげて潰しています」
「⋯⋯どうやって入り込んだのかしら?」
「敵の侵入経路は調査中です⋯⋯。女仙の瘴気にあてられても死なない身体だったのも謎。今回の事件は分からないことだらけです」
「帝都新聞の紙面では警備が手薄だったとボロクソに叩かれていたわね」
「普段なら言い返しますが、今回ばかりは警務女官の落ち度です。真摯に頭を下げるしかありません。禁中に侵入を許してしまったのですから⋯⋯。で、ロレンシアは見舞いのついでに私をいびりに来たのですか?」
「まさか。そんな意地悪はしないわよ。セラフィーナ様が宮廷で地位を築けるように側女として動いているだけ。無位無冠のセラフィーナ様には重要な情報がおりてこないわ」
「殊勝な側女ですね。セラフィーナさんは良い臣下をお持ちのようで」
「ねえ、ハスキーさん。本当に敵の心当たりすらないの?」
「いくつか分かっていることはあります。聞き取り調査で何度も話していますが、侵入者は宮廷の事情に精通していませんでした」
「宮廷の事情って⋯⋯?」
「敵は帝城ペンタグラムの禁中にまで入り込んでいながら、工務女官の制服を着ていました。禁中の出入りが許されているのはごく一部の上級女官だけです。その中で工務女官は非常に少ない。変装するにしたって、下級の工務女官に扮するのは奇妙です」
「服装が変だったというけど⋯⋯敵は侵入できちゃってるわ」
「そう。それ。警務女官長として、そこが納得できません。不審な工務女官⋯⋯大正門の検問をすり抜けられたのは絶対に変です」
「警務女官の検問を抜けないと禁中には入れないものね。誰かが手引きしたとか? 言いにくいけど、警務女官に内通者がいるんじゃないの?」
「内通者が手引きをしたとするなら、もっと理屈に合いません。警務女官の服を与えるか、目立たない庶務女官あたりの変装で十分です」
「工務女官の制服しか手に入らなかったとか?」
「その可能性はどうでしょう……。しかし、何か理由があったのは確かだと思いますよ」
敵の正体がはっきりと浮かび上がってこない。
三皇后は皇帝の身辺警護を強化している。講じられる手立てが今はそれしかなかった。敵の所在を未だに掴めず、攻めの姿勢に欠けていた。
「派手に自爆した敵が単独犯とは思えません。背後には何らかの組織が潜んでいる。けれど、犯行声明らしき発表もありません。敵の目的がさっぱりです。せめて帝城ペンタグラムに入り込んだ手口くらいは把握しないと⋯⋯」
犯行声明はなく、諸外国に蠢動の動きは見られない。
そもそも侵入者の女はベルゼフリートが去ってから自爆した。皇帝を拉致する言動は見せたが、殺害する気はないようだった。
暗殺を目論んだ国外勢力による犯行とは考えにくい。少なくとも敵は破壊者ルティヤの器が、どれほどの危険性を秘めているのかを理解していた。
「――侵入経路は女官総長ヴァネッサ殿とヘルガ妃殿下が見つけました。工務女官長に確認させていますが、ほぼ特定したと考えていい」
ノックもせずにハスキーの部屋に入り込んできたのは、帝国軍の重鎧で全身を固めた大柄な将校。鎧のせいで見えないが、筋骨隆々の身体はアマゾネス族の特徴だった。
(すごい筋肉⋯⋯。アマゾネス族の帝国兵? ……ってことは軍閥派の妃? それとも側女かしら⋯⋯? なんだか雰囲気はレオンハルト元帥に似ているわ)
帝国軍将校のタイガルラはロレンシアにとっては初対面の相手だった。しかし、警務女官長のハスキーはよく知っている。
「タイガルラ・アレキサンダー。よりにもよって貴方が私の見舞いですか?」
「アレキサンダー? この方は公爵家の方なの?」
「タイガルラはアレキサンダー公爵家の側女。帝国元帥レオンハルト閣下の妹御ですよ」
アレキサンダー公爵家の五女タイガルラを睨みつける。皇帝の親書を持ってきたロレンシアは歓迎されたが、ハスキーはタイガルラに露骨な態度を見せている。
「ははは⋯⋯。邪険にしないでほしい。わざわざ陛下にハスキーの好物を聞いて、見舞いの品を持ってきたのですよ?」
「ご丁寧にどうもありがとうございます」
「ふふふっ! 嬉しく無さそうな可愛い顔をしますね」
「実際、ちっとも嬉しくないからです。失礼ではありますが⋯⋯」
「連絡もなしに押しかけたのは悪かったと思ってます。手土産がありますよ。ハスキーは果物が好きなんですよね。初めて知りました。というわけで、高級フルーツの詰め合わせバスケットです。それと後ろ髪が焦げたと聞いたので、育毛剤もどうぞ⋯⋯。禿げてはいないようで安心しました」
「⋯⋯⋯⋯高級フルーツはもらっておきます。育毛剤は持ち帰ってください」
「育毛剤は冗談です。妹達が持っていけと⋯⋯ね。悪ふざけが過ぎました」
「妹? タイガルラの妹は二人いる。どちらの?」
「もう察しはついていると思いますが?」
「キャルル⋯⋯」
「大正解。可愛い一番下の妹です」
「はあ⋯⋯。相変わらず、可愛くない性格をしています」
「ちょっとしたジョークなのですが?」
「笑えません」
「キャルルは大笑いするかもしれません。最近は元気が有り余っています。陛下が金緑后宮に滞在しているので大はしゃぎ。宮中は緊迫した状況ですし、振る舞いには気をつけろ言っていますけどね」
「陛下の許可を得た上で、キャルルの顔面を思いっきりぶん殴ってやりたい」
「やめておいたほうがいい。殴り返されますよ?」
タイガルラは椅子に腰掛けるロレンシアの顔を覗き込んだ。
「おや、えーと、う~ん? たしか赤髪の貴方は⋯⋯ロレンシア殿?」
「ええ、はい」
「愛妾になられたセラフィーナ殿仕えの側女でしたね。あぁ、なるほど! そういえば陛下が見舞いの使者を送ると⋯⋯ちょうど今日だったのですか? お邪魔をしてしまいましたね」
「タイガルラ様は⋯⋯」
「私には様を付けずとも結構。ロレンシア殿と私の身分は同じ。レオンハルト閣下の側女に過ぎません。主人の地位が違えど、仲良くしましょう」
謙遜するタイガルラだが、アレキサンダー公爵家の七姉妹は別格の地位にいる。最強無敵のレオンハルトがいるせいで霞んでいるが、残る姉妹六人も英雄アレキサンダーの孫娘に相応しい実力者であった。
(この女軍人⋯⋯。すさまじく強い。とにかく強い⋯⋯! 女騎士として実戦を経験した私には分かる。立ち振る舞いだけで格が違う相手だと思い知らされる⋯⋯! 警務女官長のハスキーさんを軽く上回る⋯⋯!)
ロレンシアの見立ては正しい。アレキサンダー公爵家の五女、タイガルラの戦闘能力は警務女官を凌駕する。レオンハルトほどの怪物ではないにしろ、常人の域を逸脱した猛者だった。
「――で、本当の用件は? また軍務省の聞き取り調査ですか?」
「だから、お見舞いですってば⋯⋯。他の用件はありません。元帥閣下の使者も兼ねてね。アマゾネス族は血の繋がりを重視します。意外でしたか? 獣人族のように厳格な氏族主義ではありませんけれど」
「別に私は来てほしいとは思っていませんでした」
「心外な物言いです。血の繋がった妹の善意を素直に受け取ってくれませんか?」
「タイガルラさんが妹⋯⋯!? え? ハスキーさんと姉妹なの⋯⋯?」
「ロレンシア殿が驚いてくれて嬉しい。血縁上はそうです。私が妹で、ハスキーが姉です」
「誤解を招く説明をわざとするのはやめてください」
「誤解も何も真実では?」
「繋がっている血は半分だけです。この私が筋肉装甲のアマゾネス族に見えますか? 私にアレキサンダー公爵家の血は一滴も流れていません」
「⋯⋯血は半分だけ?」
混乱するロレンシアにタイガルラが説明をしてあげた。
「父親の胤が同じです。胎違い姉妹。私の母上であるアレキサンダー公爵家の大御所ヴァルキュリヤは若かりし頃、アマゾネス族の大戦士として自身に相応しい胤漢を探していました。一番目の胤漢で三人、二番目の胤漢は二人、三番目の胤漢も二人、合計で七人の娘を産んだ。それが私達、俗にいうアレキサンダー公爵家の七姉妹です」
帝国宰相ウィルヘルミナの暗躍によって、ヴァルキュリヤはベルゼフリートの子を産み、いずれは八姉妹となる。だが、このときはまだ表沙汰になっていない。
「たしかタイガルラさんは五女なのよね?」
「はい。四女はロレンシア殿もよく知っている帝国元帥レオンハルト閣下です。私達の父親となった胤漢はコロシアムで活躍していた凄腕の剣闘士」
「⋯⋯その剣闘士が私の実父。アレキサンダー公爵家に目を付けられた結果、胎違いの妹が二人できてしまったのです」
「妻帯者で子供いたのですが、うちの母上は強引な方だったので所領に拉致監禁し、胤を搾り取ったわけです」
「ふんっ⋯⋯! 決闘で父が敗れた結果です。今さらどうこう言うつもりはありませんが、アレキサンダー公爵家の人間に姉呼ばわりされるのは薄気味悪い」
「母上も配慮はしたつもりですよ。子作りの間、現地に残した家族が生活に困らぬよう大金を与えたと聞きます。禍根を残さぬように」
「私の母は貰った金を突き返しました。金で何でも解決しようとする。だから、私は大貴族が好きになれないのですよ。たとえ救国の英雄アレキサンダーの血筋だとしても⋯⋯!!」
「ほんの数年だけ借りた程度のことです。ちゃんと父上は返したでしょ?」
「胤が枯れて、用済みになったからでしょう。恩着せがましい」
「用済みという表現はその通りかもしれません。搾り取られすぎた胤漢は不能者。孕ませられなくなったら、監禁する理由もなくなります」
アマゾネス族は自分より強い男としか交配しない。ただし強さの基準は個々人で違う。単純な腕っ節を強さと見做す者は多いが、優しい性格を精神的な強さと認め、肉体的に貧弱な男を婿にするアマゾネスもいるのだ。
アマゾネス族の生涯目的は、自分よりも強い娘を産むこと。
優れた血統を残すのは至上の名誉。ベルゼフリートがアマゾネス族にベタ惚れされるのは、大陸を荒廃させるほどの荒魂を封じる強靱な器であり、優れた子を産ませる特質持ちであるためだ。
ベルゼフリートと子作りすれば、確実に自分よりも強い娘が産める。しかし、全てのアマゾネス族が理想の婿と出会い、子作りできるわけではなかった。
ヴァルキュリヤは自分に相応しい婿がいなかった。
婿が見つからなかったアマゾネスは妥協し、胤漢を探し始める。子を残さないのは最大の不名誉。何があってもアマゾネス族は自身の血統を残そうとする。
婿とは認められないが、見込みがありそうな逸材を胤漢にして精液を搾り取る。どんな手段を使ってでも妊娠し、子を産もうとするのだ。
胤漢にされた場合、相手が抵抗しようと徹底的に犯す。そして、三年もすれば凄惨な逆レイプで胤が枯渇し、胤漢は生殖不能者となってしまう。
「なんにせよ、姉妹は姉妹です。元帥閣下も表立った態度で示しませんが、ハスキーには親近感を抱いています。だからこそ、軍務省に来てほしかったです。心から歓迎しましたよ?」
「私はお断りです。哀れな父がどうであれ、私はアレキサンダー公爵家とは何の関係もない。それに女官の職場が気に入っています」
ハスキーの父親はヴァルキュリヤとの決闘に敗れ、公衆の面前で逆レイプされた。その後に攫われてからの約三年間に産まれたのが、レオンハルトとタイガルラである。
父親が拉致されたとき、既にハスキーは母親の胎に宿っていた。妊娠中の妻が困窮しないようにと、アレキサンダー公爵家は資金援助しようとしたが、ハスキーの母親はこれを侮辱だと受け取り、酷く憤ったという。
そうした複雑な背景でハスキーはレオンハルトやタイガルラと半分だけ血が繋がっている。
(血の繋がった姉妹。この二人が⋯⋯)
おおよその関係を把握したロレンシアは、ハスキーとタイガルラを交互に見る。言われてみれば姉妹らしく顔立ちが似ていた。
(ハスキーさんが陛下の寝取りを後押ししたのは、屈折した感情が秘められてそう⋯⋯)
ベルゼフリートが人妻だったセラフィーナを犯す際もハスキーはノリノリだった。一方でレオンハルトは仕事と割り切っていたものの、精神的には傷付いていた。
「最強の姉妹などと持ち上げられていますが、陛下の前では弱い乙女です。私と陛下のデートを目撃して、顔が引き攣っていたのは痛快でした」
「元帥閣下と同じで、私も純愛のほうが好きです。いくら一夫多妻制とはいえ⋯⋯後宮にも性秩序が必要かと⋯⋯。最近は母上とも⋯⋯ごほんっ! ともかく最近の陛下は節操がありません。これはロレンシア殿の前で言うべきではないのでしょうけど」
タイガルラなりの気遣いだったが、ロレンシアは全く気にしていなかった。女仙にさせられたばかりの時期は、内心穏やかでいられずにいたが、今のロレンシアはベルゼフリートの子供を産んだ女なのだ。
「陛下の望みを叶えるのが女仙の務めだと思うわ。敵国の女だったとしても、陛下の雄々しい帝気に触れれば、順々な下僕となる⋯⋯。強者が弱者から奪うのは自然の理。無理に陛下の御心を縛るのはどうかと思うわ」
「ロレンシアの言うの通りです。寵愛が欲しいのなら、嫉妬するよりも、まずは努力して己を磨けばよろしい⋯⋯。こんなくだらない話より、侵入経路の件を教えてくださりますか?」
「それは私も気になっていたわ。女官総長ヴァネッサとヘルガ妃殿下が見つけたって? 本当に? タイガルラさん」
「ええ。先ほど、評議会に報告がありました。しかし、侵入という言葉が当て嵌まるかは分かりません。結局のところ、ウィルヘルミナ閣下の読みが当たっていました。女官の警備は破られてはいなかったのですから」