皇帝不在の帝城ペンタグラムに派閥筆頭の三皇后が集結していた。
一堂に会した三者は円卓を囲み、バルカサロ王国の情勢について議論を重ねる。書記を務めるのは女官総長ヴァネッサである。他に参加者はいない。玉座は空席だった。
「バルカサロ王国に〈浄化の雨〉は届いておらん」
宮中祭祀を司る大神殿の見解は、凶作で苦しむバルカサロ王国にとって無常かつ残酷な内容だった。
王妃イシュチェルと皇帝ベルゼフリートは契りを交わしている。未亡人は困窮のどん底に陥った祖国を救うため、幼帝の恩寵に縋りつくほかなかった。女仙化を果たし、二度目の処女喪失を遂げ、夜伽をこなす回数はどの妃よりも多い。最大限の努力を重ね、お互いが精力を尽くしている。イシュチェルの膣内は、常に精子で満たされていた。
指南役を任されたセラフィーナからの経過報告も順調とある。しかしながら、肉体関係がどれだけ深まろうと結果に結びついてない。
――かくして、大神殿の総意が告げられる。
「これ以上は無駄じゃろう。北部の国境付近で雨雲が滞留しておる。そろそろ潮時じゃな」
農作物を蝕む疫病。土壌を浄化する雨はメガラニカ帝国の北部を越境できなかった。
「西風で逃していたが、そちらには旧帝都ヴィシュテルがある。長雨で復興工事に遅れが生じていると苦情を出された。どうにもならんな。ドワーフ族の長老衆は、大神殿が態度を改めぬならば、皇帝陛下に直訴すると鼻息を荒くしておったよ」
神官長カティアはドワーフ族の大親方から届いた書状を円卓に広げた。
請願の代表者は豪族のまとめ役。しかも、連名で工務女官長や宰相派の王妃など、錚々たる有力者が並んでいた。
「意外な結果です。ベルゼフリート陛下の夜伽役をイシュチェルはこなしています。人災は別として、土壌を蝕む疫病は祓えるものだと⋯⋯。私は一定の効果を見込んでいました」
帝国宰相ウィルヘルミナは胸元からボトルを取り出し、紅茶のティーカップに白濁液を垂らす。ベルゼフリートから搾り取った精液である。サキュバスにとって、愛する男のザーメンに勝る美味はない。
最初の一口をじっくり味わう。刺激する甘苦い白濁液に舌鼓を鳴らす。淫蕩なサキュバスの本能を静めて、三頭会議の本題に思考を向かわせる。
「私達が仕掛けた代替策は不発に終わりました。これまでの記録と符合しません。アルテナ王国は全土に恩寵が届きました。バルカサロ王国に行き渡らない原因は何でしょうか?」
三皇后が講じた代替策とは、軍事力や財政を伴わない支援計画だった。内乱と凶作で大飢饉が起きるバルカサロ王国に〈浄化の雨〉を流し込む。ベルゼフリートとイシュチェルが肉体関係を結べば、実現できるはずだった。
「原因不明じゃ。分からぬ。アルテナ王国は〈浄化の雨〉で東西全域を清めることができた。メガラニカ帝国の領土外であり、我らと敵対するヴィクトリカ女王が治める土地でも、皇帝陛下の恩寵は有効じゃった」
「ヴィクトリカ女王はベルゼフリート陛下の御子を産んでいますよ」
「しかし、女仙にはなっておらぬ。ベルゼフリート陛下の遊びの結果じゃからな。今思えば、当時は平和じゃったのう。戦勝に浮かれて警備も緩んでおったやもしれぬ」
「そうですね。⋯⋯恩寵の範囲内にあるかどうかは、王家の女が皇胤で孕むことで決まるのでしょうか?」
「はっきりとは言えぬよ。なにせ恩寵を得られぬ空位の時代が長すぎた。もっと昔に遡ると栄大帝じゃからな。恩寵の効力が大きすぎて参考にならん。ともかく、北方のバルカサロ王国に〈浄化の雨〉は届かん。それが現在の結果じゃ」
「私達は手を尽くしました。バルカサロ王国の不幸は来年も続くかもしれませんね。口減らしで何割の国民を削るつもりなのでしょう。国家の命数が尽きつつある。お気の毒です」
「感情が込められておらん。我が国の宰相は白々しいのう」
「敵国の不幸ですから。嘲笑はいたしませんが、心を痛める気にもなれない」
「儂は大神殿の情報を共有した。次はそちらの番じゃぞ。⋯⋯国外で何が起きておるのだ? 出し惜しみは好かぬ。宰相と元帥は心当たりがあるんじゃろ。本心を聞かせてほしいのう」
疲れた表情のハイエルフは唇を尖らせた。腹に一物抱えてる帝国宰相と帝国元帥を睨む。
妖艶なる淫魔は眉一つ動かさずに、精液入りの紅茶を味わっている。先に反応したのは邪道を嫌うアマゾネスの帝国元帥であった。
「腹黒の宰相だけでなく、私もか? その猜疑心に満ちたジト目をやめろ。言っておくが軍務省は完璧な仕事をしたぞ。セラフィーナの報告書通りだ。ベルゼフリート陛下にイシュチェルを抱かせている。⋯⋯宰相府の横暴に応じている日以外はな」
嫌味たっぷりにレオンハルトは文句を突き付けた。
「おや? 横暴とは心外です。本来、夜伽は妃がするもの。愛妾の離宮に押し留められたベルゼフリート陛下が気の毒でなりません。だから、宰相派の妃達は立派にお役目を果たしたのです。それに何の問題があるのか⋯⋯。理解しかねます」
「よくぞ、まぁ⋯⋯。ぬけぬけと⋯⋯。軍閥派にも妃がいるのを忘れてもらっては困る。あれは横取りだ⋯⋯!」
「声を荒げないでください。既に片付いた案件では? 帝国元帥は快く承諾し、ヘルガ王妃も頷いた。今になって蒸し返すのは如何なものかと⋯⋯?」
「事実を捻じ曲げるな。不快な気分で、渋々、承諾した」
「帝国最強の猛者だというのに女々しいですね」
「私は立派な乙女だからな。女々しくて結構だ。――泥棒淫魔め」
「これまた人聞きの悪い。私は正妻ですが? いっそ、ベルゼフリート陛下に聞いてみましょうか。ご自分の気持ちが誰のモノになっているか」
自信満々のウィルヘルミナは、肩をすくめて淫魔の尻尾を揺らす。レオンハルトは悔しげに両手を握りしめた。軍閥派で囲っていたベルゼフリートを横取りした件で、沸々と怒りを募らせている。
「儂は其方らの本心を聞かせろとは言った。だが、醜い修羅場の見物に来た覚えはないのじゃがな。はぁ⋯⋯。どうにかヴァネッサを説き伏せて、皇帝陛下も臨席させるべきじゃったのう。今からでもお呼びしてもよいのではないか? 三頭会議の雰囲気が和らぐぞ」
カティアの要請に対し、ヴァネッサは断固たる表情で首を横に振った。女官総長は皇帝の公私を支える側近中の側近。その権限は専門領域で三皇后に比肩する。
「カティア猊下のお言葉でも聞き入れられません。今回の三頭会議、皇帝陛下は臨席なさらぬほうがよろしい。血生臭い戦争は穢れを呼び寄せます」
「やれやれじゃ。狂言回しは皇帝陛下の専売特許なのだがな。まったく⋯⋯。宰相と元帥よ、その辺で痴話喧嘩はやめるのじゃ。本題に戻ろうぞ。大神殿は国外の情報を持っておらん。統治下にある西アルテナ王国ならともかく、バルカサロ王国は宰相府と軍務省で対処してもらわねば困る。難民の流入にしても、元栓が緩みっぱなしじゃぞ。どうなっておるのだ?」
「軍務省の見解を教授しようか? バルカサロ王国の内乱は収束しつつある。王座を巡って争っていた第二王子ジルベールと第三王子ザトリシオは共倒れだ。愛国義勇軍が王都を押さえた。主要な城塞都市も恭順を示している。内乱の趨勢は決しつつある」
「勝者は愛国義勇軍になったのじゃな。内乱は収束に向かうのか」
カティアの楽観的な意見をウィルヘルミナが即座に否定する。
「さて、それはどうでしょう? 平和を願う神官長らしいお言葉ですが、軍事は血生臭いものです。血で血を洗う武力闘争。⋯⋯簡単に収束するとは考えにくい。第一王子ドラホミールの妻であった王太子妃ヴァテリィが漁夫の利を得た。軍務省はそう思われますか?」
既に答えを知っているであろう人間の問いかけだ。レオンハルトは嫌々の表情で答える。
「いいや。裏で動いたのは軍師団だ」
「ええ、でしょうね。つい最近、バルカサロ王国の軍師団は中央諸国に使者を送っていました」
「水面下で廃嫡王子のロアフォード侯爵や教会の枢機卿に接触した。だが、協力を断られている」
「第四王子だったロアフォード侯爵は傾いた船から逃げ出した賢いネズミです。わざわざ戻りはしません。教会の動きは読めませんが、中立といったところでしょうか⋯⋯。軍師団の努力が水泡に帰し、次の手札が亡き第一王子ドラホミールの遺産である愛国義勇軍とは⋯⋯。愚かしい。秩序回復を掲げるなら、いっそ王族ことごとく排除して軍事政権を樹立するべきでしたね」
「軍事独裁を推奨する宰相がいるとは驚きだな。ここには帝国軍の最高指揮官が眼前にいるのだぞ」
「私はレオンハルト元帥を信じております。貴方は良識と自制心をお持ちです」
「うすら寒いな」
「本意です。心から信頼しておりますよ。メガラニカ帝国の平和はケーデンバウアー侯爵家が耕し、アレキサンダー公爵家が実らせた」
そして、果実はナイトレイ公爵家が掻っ攫った。言葉にはしなかったが、最後の含み笑いはそうとしか解釈できない。
「ふんっ⋯⋯! 軍師団が愛国義勇軍を担いだのは、口減らしの目途が立ったからだろう。戦禍と凶作で深刻な飢饉に陥っているが、中央諸国の援助で何とか持ちこたえる。そのつもりなのだろうよ」
「今年の冬は何とかなるでしょう。怨敵と罵ってた我が帝国にすら、難民を押し付けてきたのですから」
「よく言う。ナイトレイ公爵家は難民の受け入れを拒んだ。ヘルガが怒り狂ってたぞ。うちの帝国宰相は人道的義務を軽視しているとな」
「土地柄の問題です。その代わり、大神殿に寄付をいたしました。巨額の寄付です。ナイトレイ公爵家は大貴族の義務を果たしています。そこの神官長に聞けば、誰の慈善寄付が一番大きかったか分かるでしょう」
「ナイトレイ公爵家は太っ腹じゃったぞ。金銭だけでなく、物資もありがたくいただいた。その節は感謝しておるよ。だが、支援額の最上位はケーデンバウアー侯爵家じゃぞ。さすがは篤志家のヘルガ王妃じゃな」
「おや、負けましたか。張り合っても仕方ありませんけれど」
「隣り合っているくせに、君主と領民の人柄は正反対じゃな」
「ケーデンバウアー侯爵家はやり過ぎです。余力があるとはいえ、博愛主義も程々にしてほしい。比べられる当家は良い迷惑です」
「寄付といえば、ケチ臭いラヴァンドラ王妃にもうちょい貢献してほしいの。領地を持たぬとはいえ、貿易で荒稼ぎしておるのじゃ。浄財して欲しいのう」
「商人に浄財の概念はないかと思いますね」
「帝国宰相の一声があれば動いてくれるじゃろ。帝都の大財閥が肥えている」
「ラヴァンドラ王妃には、旧帝都ヴィシュテルの復興事業で巨額の投資を引き受けていただきました。搾り取るような真似はしたくありません。経済に影響が出ます」
「まるで貯金箱じゃのう。有事では戦費を拠出する大切な財布であるからか? ナイトレイ公爵家も貯め込んでおるな?」
「帝国兵に与える慰労手当を実現させるためです」
「兵士の厭戦気運が金銭で癒えるとは思えんのう。欲しておるのは平和じゃ」
「平和を維持するために、戦わねばならぬ時もある。産みの苦しみです。さて、神官長だけでなく、帝国元帥のご意見も拝聴いたしましょう。軍務省には頑張ってもらわねばなりませんから。――戦費はいくら用意しておけば足りますか?」
「性急過ぎる⋯⋯。戦争になるとは決まっていない」
「国防は帝国元帥に一任しています。そして、戦費徴用は宰相府の仕事。つまり、帝国宰相たる私の責務です。ヘルガ王妃の融和施策が無駄とは言いません。難民保護は一定の効果がある。けれど、本土に残された者達には届かない。これも現実です」
「ヘルガは理解している。当然、私もだ」
「バルカサロ王国の愛国義勇軍は、無謀な報復戦争を仕掛けてくる可能性が高い。帝国軍に対処していただきたい。メガラニカ帝国からすれば防衛戦争です」
「いいや。違うな。参謀本部の見立てでは、メガラニカ帝国に復讐戦争を仕掛ける可能性はかなり低い」
「結構なことです。ところで、西アルテナ王国の北部はどう対処していますか?」
「⋯⋯統治はそちらに移管したはずだが? 軍務省に口出しするなと言っていたのは宰相派だぞ」
「国防は帝国軍の専権事項です。帝国元帥のご意見を確認したい。フォレスター辺境伯が国境警備の強化を訴え、陳情してきました。執政官と総督府に届いた書簡を読んでいるはずです」
「耳が速いな。執政官のグレイハンク伯爵と総督府は国防強化を認めた。ウィリバルト将軍の指揮により、西アルテナ王国の軍備再建が本格化するだろう。自衛戦力を持たせる。国軍に課していた武装制限は取り払う。解散させた近衛騎士団も復活させるつもりだ。もはや帝国に逆らうことはあるまい」
「現場指揮官はウィリバルト将軍だけですか? 曾孫が生まれたばかりの老将を労わるべきです」
「状況次第ではキャルルを派兵する」
「謎な人選です。なぜ末妹のキャルルを?」
「当人の強い希望だ」
「キャルルはセラフィーナに軍閥派の情報を流しているようですね。黄葉離宮に出入りもしているとか」
「派閥の内の話だ。宰相には関係ない。それと、誰かのせいでアレキサンダー公爵家は八姉妹になった。キャルルはめでたく末妹から卒業だ」
「細かいことを気になさる。それはさておき――」
「あのな。自分の母親が孕んで、その相手が夫だったら常人は傷つくぞ。それを『さておき』で済ませられるのは納得いかん。私の身にもなってみろ!」
「常人を辞めればよろしい。家庭内のことは家庭内で解決してください。――それで、追加派兵の人選ですがシャーゼロットを送り込んでは? 大軍を指揮するなら長女が一番適任です。帝国軍大将シャーゼロット・アレキサンダーを推します」
「過剰戦力だ。姉は送らない。一番上も、二番目も、三番目もだ。増員するなら妹から選ぶ。タイガルラだ」
「戦力は潤沢であるべきです。複数人を派遣しても問題はない」
「いいや、指揮系統が混乱する。ウィリバルト将軍の仕事が増えるだけだ」
「腹の探り合いはやめましょう。バルカサロ王国が西アルテナ王国を攻める可能性は高まっています。軍務省の立場を聞かせてください」
「嫌な質問だ」
「それが帝国宰相のお仕事です。そして、この質問に答えるのは帝国元帥のお仕事だと思います」
「⋯⋯軍師団なら仕掛けてこない。我が国との戦力差を身に染みて知っている。だが、愛国義勇軍の夢想家が主導権を握ったら、西アルテナ王国の解放を目論むだろう。どさくさで東アルテナ王国の土地も奪うかもしれない」
バルカサロ王国の認識ではアルテナ王国を解放する聖戦。しかし、東西に分割された双方のアルテナ王国は助けを求めていなかった。
売国女王セラフィーナは汚名を冠しているが、メガラニカ帝国との共栄路線は成功しつつある。不名誉極まる繁栄だが、今さら敗戦の結果をひっくり返す熱意はない。新たな貿易によって、莫大な利益が流れ込んできている。
一方、新女王を名乗り始めたヴィクトリカはバルカサロ王国に見捨てられ、暗殺されかけた過去がある。同盟関係は破綻し、東アルテナ王国は独自路線を進んでいる。落ち目のバルカサロ王国と結託するメリットは薄い。
「ユイファン少将の見立てはどうなっていますか? 戦略分析であれば、彼女が一番信頼できる。戦争の天才です。産休は終わっているでしょう。ちゃんと働かせているのですよね?」
「もちろんだ。バルカサロ王国が攻めてきた場合、東アルテナ王国のヴィクトリカ女王は北部領土を捨てる。無人地帯の山地と荒れ地だ。犠牲を出してまで守る価値が低い」
「同意見です」
「我が国の保護下にある西アルテナ王国はそうもいかない。北部の土地を明け渡せば地政学的なリスクが高まる。⋯⋯それだけに留まらず、怒り狂った帝国臣民の世論が暴発する」
「僅かな寸土であろうと、征服地の失陥を人々は許容しないでしょう。アルテナ王国の東西分割統治は民衆受けが最悪でした」
「どこぞの文屋が民衆を煽ったおかげでな」
名指しは控えたが、帝都新聞という名前の文屋だ。
「ラヴァンドラ王妃は集めた購読料を戦費に充当してくれますよ」
「至れり尽くせりだな。⋯⋯死の商人どもめ。戦場で血を流すのは帝国軍だ」
「そこまで言うなら従軍記者の提案を受け入れればよかったでしょう。次の戦場に連れて行ってやってはどうです?」
「引率はご免被る。見世物になるつもりもない」
レオンハルトは苦々しい口調で吐き捨てた。



