メガラニカ帝国の最高権力者が誰であるかと問われれば、三人の皇后だと全員が口を揃えるだろう。
有権者の選挙で選ばれる国民議会。皇帝の寵愛を受ける妃達からなる評議会。両議会は補佐機関だ。
一方、三皇后による決定は絶対的だ。
行政、軍事、司法をそれぞれ掌握する三皇后。その中でも突出した影響力を持つのが、帝国宰相ウィルヘルミナであった。
「⋯⋯査問会はどうでしたか?」
サキュバスという種族は楽観主義者が多い。種族生来の性格からして、生真面目からは程遠い存在だ。けれども、ウィルヘルミナ・フォン・ナイトレイは違う。
「ユイファン少将が弁護人となり、司法神殿から副審が派遣されるなど、軍閥派と長老派、両派閥から干渉を受けております」
呼び出されているのは、査問会で主審を務めたラヴァンドラ王妃である。
軍閥派はたった1人の王妃、ヘルガ・ケーデンバウアー王妃のみが在籍する。しかし、最大派閥の宰相派には4人の王妃がいた。
宮廷において、王妃であるラヴァンドラの階級は低くない。しかし、皇后との差は埋めようがなかった。
「ユイファン・ドラクロワ……。愛妾同士、シンパシーでも感じているのでしょうか? レオンハルト元帥は皮肉なことをする。アルテナ王国の攻略作戦を考案した参謀将校が弁護人とは⋯⋯」
「アルテナ王国の情勢は変化しています。今後はどのように動きますか?」
「軍務省は静観すべきであるとしていますが、ヒュバルト伯爵はバルカサロ王国にラブレターを送っています。目的はアルテナ王国の東西分割統治でしょう」
「まさか分割統治案を受け入れるのですか……?」
「論外です。今回の戦争で、我々は銅貨1枚の賠償金さえ得られなかった。妥協すれば世論が黙っていないでしょう。とはいえ、軍務省の意見にも一理あります」
「〈リバタリアの災禍〉が終焉し、ベルゼフリート陛下の即位後、我が国は急速に復興しています。一方、軍事費の増大は、国内財政で無視できない問題です。国内経済の悪影響を懸念する声が商人連合から寄せられています」
「ええ、その通りです。しかし、引き下がる選択肢はありません。戦争が起こった際、その戦費をアルテナ王国に負担してもらいます。これはアルテナ王国が招いた騒動なのですから」
「具体的にはどのように……?」
「セラフィーナ女王を利用して、アルテナ王国の軍勢を動かします。ヒュバルト伯爵らの独立勢力を鎮圧しなければ、泥沼の内乱です。東部の制圧後、セラフィーナ女王の品位を徹底的に貶め、王国全土を帝国領とすれば、当初の予定通りとなります」
「上手く併合できるでしょうか? アルテナ王家の権威が失墜すれば、セラフィーナ女王だけでなく、ヴィクトリカ王女の存在価値が失われます」
「結構ではありませんか」
「⋯⋯私たちには好ましい展開です。しかし、セラフィーナ女王は国民から深く愛されています」
ラヴァンドラは懐疑的だった。
アルテナ王国の人々はセラフィーナに対して、深い敬愛の念を抱いている。
ヒュバルト伯爵のような野心家が地方にはいるとしても、王都近郊の有力貴族は王家に忠誠を誓ったままだ。
「レオンハルト元帥はアルテナ王家を存続させるつもりです。しかし、メガラニカ帝国にアルテナ王家は不要」
ウィルヘルミナは怒りをあらわにする。
「歴史を紐解けば、哀帝の時代にメガラニカ帝国を見限り、勝手に独立した賊臣の末裔が作った国。いわば、裏切り者達の国です。死恐帝の災禍で我が国が苦しんでいたとき、彼らは手を差し伸べてくれましたか?」
「いいえ。国境にイリヒム要塞を設置し、難民の受け入れを拒否しています」
「彼らが過去を忘れていても、私たちは忘れません。裏切り者の子孫は、必ず裏切ります。帝国に相応しくない背信者の一族です」
ナイトレイ公爵家は忠臣の中の忠臣。
始皇帝の代からメガラニカ帝国を支えてきた由緒ある帝国貴族だった。
「そのための査問会ですか……」
「はい。だからこそ、ラヴァンドラ王妃。貴方の働きが重要になります」
ウィルヘルミナは目を細め、深い溜息を吐く。
「ここからは単なる私の愚痴と思ってください。困ったことにレオンハルト元帥どころか、カティア神官長すら過去を忘れています。大陸平定の大偉業を成し遂げた栄大帝と大宰相ガルネットが、衰えに衰えた今のメガラニカ帝国を見たら⋯⋯。何を思うことでしょう……」
メガラニカ帝国の全盛期。
栄大帝の時代、名宰相ガルネットは大陸全土の平定という前人未到の偉業を打ち立てた。
「失望はなさらないでしょう。どのような偉業も小さな一歩から始まるのですから。事実、栄大帝と大宰相ガルネットは焼け野原から国家を再建し、大陸統一を成し遂げたのです。宰相閣下」
「ラヴァンドラ王妃、貴女には期待しています。査問会の結果は国民議会に報告する予定です」
「承知しています。しかし、汚れ仕事を引き受けたのですから、その見返りも保障していただきたく……」
「分かっています。夜伽権についてラヴァンドラ王妃を優先させましょう」
「……ありがとうございます」
「ただし、ベルゼフリート陛下の寵愛をいただけるかは、貴方の努力と魅力次第。皇后の私が命じたとして、ベルゼフリート陛下の御心までは動かせません。精一杯、頑張ってください」
余裕満々のウィルヘルミナに頭を下げて、ラヴァンドラは退席する。
風聞を気にするラヴァンドラが査問会の主審を引き受けた理由。それは夜伽権を獲得するためだった。
宰相派は皇后1人、王妃4人、公妃16人によって構成されている。
それに対して、夫である皇帝ベルゼフリートはたったの1人。
争奪戦は不可避だ。しかも、宰相派は人数が多い。派閥内での競争は、軍閥派や長老派に比べ熾烈だ。
(やっと私にも機会が巡ってきました。皇帝陛下のお近づきとなり、皇胤を授かるチャンスが……)
皇帝ベルゼフリートが即位して8年。公妃どころか、お気に入りとなった女官や側女ですら、皇帝の御子を産んでいる。
長命種ゆえに子宝に恵まれないと苦労していた長老派の妃達に、ベビーブームが訪れている。ラヴァンドラは焦っていた。
(同派閥の妃に軽んじられないためにも、ベルゼフリート陛下の御子を年内に授からなければ……。お飾りの王妃と見做されれば、評議会議員としての政治力……、ひいてはラヴァンドラ伯爵家の地位が低下してしまう)
ベルゼフリートに処女を捧げてから、今日に到るまで抱き続けている劣等感。
皇帝の御子をトロフィーのように扱う自分に厭悪するところはある。しかし、奥深くに根を張った黒い感情を隠し通すこともできない。
「⋯⋯アルテナ王家を滅ぼすことも含め、全て年内に片付けたいものです」
いかにセラフィーナ女王が疎まれているとしても、査問会の主審は処刑人と似た汚れ役職。名誉とは程遠い。
本来、派閥下位の公妃に押しつけるべきところだ。それをわざわざ引き受けたのだ。
ラヴァンドラは妊娠したときの自分を想像してほくそ笑む。
(今はウィルヘルミナ宰相に逆らう時期ではない。焦る必要はありません。女仙は不老。私には時間があるのだから。陛下の寵愛を受け⋯⋯いずれは帝国宰相⋯⋯。皇后の座に⋯⋯!)
◇ ◇ ◇
展望台での淫事を終え、セラフィーナとベルゼフリートは黄葉離宮に戻ってきた。
普段はセラフィーナと2人の側女、従者のロレンシアと犬族の獣人リアしかいない静かな離宮だ。しかし、今は騒々しい。建物の周囲を警務女官が警邏し、厨房は皇帝付きの女官に占拠されている。
皇帝の死は帝国の滅亡、大陸の大災厄につながる。天空城アースガルズであろうと女官達による警備は厳重だった。
「へえ、リアがセラフィーナの側女なんだね。帝国軍にいるリアのお爺さんには、とてもお世話になってるよ。アルテナ王国の王都ムーンホワイトで会った。とても元気そうにしてた。まだ本国に帰れない状況だけど、戻ってきたら暇をもらってお爺さんに会いに行ってあげなよ」
皇帝に話しかけられたリアは緊張のあまり、とんでもない早口で返礼の言葉を述べた。
その場にいる全員が内容を聞き取れなかったに違いない。おそらくベルゼフリートは馴れているのだろう。笑顔で応対している。
一方、赤髪の従者は戻ってきた主君に対し、どんな言葉をかけるべきなのか迷っていた。女王の身体からは、きつい精液の残り香が纏わり付いていた。
「セラフィーナ様……。その……っ! お身体は大丈夫ですか……?」
強烈な淫臭。ロレンシアが気付いているのだから、鋭い嗅覚を持つ犬族のリアも理解している。セラフィーナはベルゼフリートとセックスをして帰ってきたのだ。
「私は大丈夫ですわ、ロレンシア。そんな不安げな顔をしないで……。本当に心配なんていらないわ」
澄ました顔でセラフィーナは、何事もなかったかのように微笑した。
ロレンシアは女王の境遇を憂う。
取り繕うセラフィーナの頬は紅く染まっている。微笑みに隠された意味をロレンシアは悟った。
「じゃあ、寝室で続きをしよう。セラフィーナ」
「はい。陛下。寝室はこちらですわ」
セラフィーナは小さく頷いた。火照った肉体はむせ返る色気を醸し出す。ベルゼフリートの手を引いて歩いていく。歳の離れた恋人同士のようだった。
「っ……!」
従者だというのに何も出来ない。無力感に苛まれ、締め付けられるような胸痛を覚える。
敬愛する女王は巨尻を揺らしながら、憎き仇国の幼帝と寝室に入った。ロレンシアは黙って見ているしかなかった。