天空城アースガルズの公文書館は、メガラニカ帝国の重要文書を保管する施設だ。一般図書も大量に所蔵し、宮廷で暮らす読書好きが通う憩いの場となっている。
ベルゼフリートに連れられ、セラフィーナは初めて公文書館を訪問した。
建物はドーム型の三階建て。知識は財産という考え方から、資料は財務女官の管理下にある。機密書類の閲覧は一部の者に限られいた。
「おやおや……? 陛下と公文書館で会う日がくるとは思わなかった。しかも、珍しい組み合わせだ」
公文書館に入り浸っている常連の1人。参謀本部所属の少将ユイファンは、ベルゼフリートとセラフィーナに会釈する。
「あれ? ユイファンこそ何してるの? 今日も公文書館でサボり?」
「私だってちゃんと帝国軍人として、国家のために軍務をこなしていますよ。今日は貸出期限切れの本がいくつかあったので、返却しに来た次第です」
「当たり前のように言ってるけど、普通は貸出期限が過ぎる前に返すんだよ……」
ユイファンとベルゼフリートの距離感は近い。女官達は面白くなさそうにしているが、二人の会話に口は挟まない。
(ユイファンさんが皇帝と親密な間柄なのは、想像に難くないわ……)
宮廷におけるユイファンの地位は愛妾。妃の地位を持っていない。だが、ベルゼフリートとは濃密な関係を築いている。
皇后には及ばぬまでも、軍功の実績と合わせれば、軍閥派の切り札となる人物であった。
「ユイファンがいるってことは……あっ! やっぱりネルティもいるじゃん! 帰ってきたらお土産話をしてあげるって言ったのに、何で帝城に来てくれなかったんだよー! 酷いじゃん!」
ベルゼフリートは兎耳の獣人を見つけると、ユイファンとセラフィーナを置き去りにして駆け出した。
「ユイファンさん、あちらにいる兎耳の方は……?」
「あの子はネルティ。私の側女だよ。セラフィーナと同じで私は生活能力が欠如していてね」
勝手に同類認定されてしまったが、確かにセラフィーナは一人で暮らせない。生まれてこの方、女官に一切合切を丸投げしてきた。
「離宮をゴミ屋敷にしないために、世話をしてもらっている。セラフィーナに付いているリアと同じく、ネルティはケーデンバウアー伯爵家の身内さ」
黒毛の兎耳、白毛の尻尾。ネルティは兎族の獣人であった。
「あー、やめろっ! 引っ付くな!!」
ネルティは脱兎の如く逃走したかった。しかし、皇帝相手ではそうもいかず、大人しく捕まることを選んだ。
「逃げないから尻尾を掴むなって……、というか、どうしてこんな所に来てるんだ? 陛下は絵本くらいしか読まないだろ」
「相変わらずネルティは不敬だな〜。僕だって最近は真面目に皇帝をやってるんですよー。早起きしたときは帝都新聞を読むようになりましたー」
「帝都新聞なんか読んでるのかよ。よりにもよってラヴァンドラ商会発行の御用新聞を……。あれはろくな記事を書いてないぞ。宰相府の機関紙だ」
「過激な見出しが載ってたね。軍部は腰抜けだってさ」
「その腰抜けが命懸けで戦って、何とか勝利したんだけどな。安全な帝都で暮らしてた人間は気楽なもんだ。宮廷暮らしだった俺が言えた口じゃないが……」
美女がひしめく宮廷では、個性的な女は際立つ。ネルティの容姿は中性的だ。腰回りの括れは、あえて目立たないようにしている。男装すれば完璧な美男子に変身できる。
「あの。ユイファンさん。彼女は……皇帝陛下に対して、あのような言動を許されているのですか……?」
セラフィーナは小声で訊ねる。ネルティの砕けた態度は礼節が欠けていた。
「ネルティは特別だからね。むしろ、それがネルティに課せられた役割なのだから、誰が何と言おうと、望まれた振る舞いをすべきだろう? もちろん、女官を筆頭に快く思っていない人が沢山いるだろうけども」
「役割……?」
「ネルティは陛下のご友人なのさ。天空城アースガルズに住む女達の中で、特に親しい間柄にある。微笑ましい交友の邪魔立ては無粋だよ」
ユイファンは和やかに笑う。対照的にハスキーを筆頭とする女官達は苛立っている。
ネルティは女官の敵意を感じ取り、遠慮がちな態度だ。
「ん? あの金髪の美女が、噂のセラフィーナ女王?」
「うん。そうだよ。オッパイがとっても大きいでしょ。爆乳! ネルティの何倍だろうね?」
「知らねえよ」
「乳比べしてみたら?」
「当てつけか……。てか、俺に構ってる暇があるの? ずっと陛下の誘いを無視してたのは悪かったと思ってる。だが、あっちのエスコートが仕事なんじゃねえの?」
実のところをいえば、ネルティは軍務省から皇帝との接触を控えてほしいと頼まれていた。ベルゼフリートの意識がお気に入りのネルティに向いてしまうのを避けるためだった。
軍務省はベルゼフリートとセラフィーナの子供を欲している。軍務と説明されれば、従うのはやむなしだった。
「久しぶりに会ったんだから、気を使わなくていいよ?」
「俺は陛下に気遣いなんかしねえ……」
「うん。だよね。ネルティはいつも変わらない」
「はぁ⋯⋯。ユイファン少将、どうにかしてくれませんかね?」
「陛下の寵愛を邪険にするものではないよ。ネルティ。今回は偶然の出会いだ。借りた本の返却期限を忘れる私の悪癖も、偶には良い結果を招くみたいだ」
「ユイファン少将……。笑ってないで自分の部下を助けてくれよ……」
「偶々、出会したんだ。後ろ指を指す者はいないさ。私はセラフィーナと話したいことがあった。陛下、ご所望ならネルティを連れて行って構いませんよ」
「いいの?」
「どうぞ、自由に使ってください」
「……いやいや、ユイファン少将! 陛下はセラフィーナ女王と一緒に来たんだから俺が出しゃばるのは……不味いのでは⋯⋯?」
「調べもので、陛下はセラフィーナを公文書館に連れてきたのでしょう? 私はここを隅々まで知っている。セラフィーナの力になれるかと思います」
「そっか。うんうん! 適材適所だ! じゃあ、ネルティと中庭で遊んでるよ。セラフィーナもそれでいい?」
「え……。はい⋯⋯。私は構いませんわ」
ネルティは申し訳なさそうに頭を下げた。
相手がセラフィーナであったから波風は立たなかった。しかし、これが別の妃なら、穏やかに進まなかっただろう。
側女のネルティは宮廷の有名人だ。皇帝の妻である妃、愛人関係の女官は数多くいる。しかし、皇帝の親友と呼べる相手は、ネルティをおいて他にない。
「はぁ……。後で恨み言を言われるのは俺なんだからな……?」
ベルゼフリートに手を引っ張られて、ネルティは廊下を進む。護衛の女官達も背後をぞろぞろと付いていく。
「ん? どういうこと……?」
「いい加減、陛下は女心を察しろよ」
ネルティは大きな溜息をつく。気苦労の6割はベルゼフリートに起因し、残る4割はユイファンの怠惰によるものである。
「セラフィーナ女王だよ。あんなことされたら、俺の第一印象は最悪だ。デート中にいきなり現れて、陛下を奪っていったんだぞ。これ以上、政敵を作りたくないっていうのに……」
「そんなの気にしてないと思うけど? セラフィーナとデートしてるように見えた? セラフィーナの素性はネルティも知ってるんでしょ?」
「人並みにはな。ユイファン少将から聞いてる」
「セラフィーナには旦那さんと2人の子供がいたんだ。初めての人妻。あっ、リュート王子は死んじゃったから、もう子供は1人だけだね。⋯⋯まあ、じきに僕の子供を産むから、また子供は2人になるけどね」
「処刑されたリュート王子か……。ユイファン少将は良い性格をしてるよ。本当に食わせ物だ。あの人は……」
「リュート王子の処刑を提案したのはユイファンだからねえ……。顔に似合わず、冷酷な面があるよね。軍人だから当然か⋯⋯。セラフィーナが知ったら、どうなるかな?」
「当たり前だが、絶対に言うなよ」
「うん。言わないでおく。拗れそうだ」
「いつかは知るだろうけどな……。そもそも王都ムーンホワイトを制圧した電撃作戦だって、ユイファン少将の立案だ。その後の占領と講和条約締結まで、深く関わっていたはず⋯⋯。で、陛下はその片棒を担いできたわけだ」
「そうそう。僕はセラフィーナと初めて会った日、セラフィーナを強姦したんだよ。僕は立派な征服者ってわけさ」
「……強姦って……あのなぁ……もうちょい言い方があるだろ」
「強姦は強姦だよ。暴れるセラフィーナを薬で大人しくさせて、夫婦の寝室で種付けセックス♪ 犯しまくったよ。今でこそ落ち着いた態度で接してくれるけど、心の奥底で僕をどう思っていることやら⋯⋯。あ〜あ〜、恐い恐い……!」
「最低最悪の悪事をしてきたんだな。俺に話したい武勇伝はそれか?」
「まあね。土産話といったら、子持ちの人妻女王を陵辱したことくらいしかない。最初は面倒くさいと思ったけど、人妻を寝取るのは面白いかも? 最近はちょっと恥ずかしいプレイもしちゃった。あっ、レオンハルトとアナルセックスをした話もあるけど、そっちが聞きたい?」
「元帥閣下のアナルセックスはどうでいい。それより少しは人間らしい罪悪感を感じてほしいな。軍務の命令とはいえ、性的暴行はどうかと思うぞ」
「そんな、僕を嫌いにならないでよー。やれって言われたときは、セラフィーナを可哀想だとは思ってたんだよ。息子が処刑された直後だったしね。でも、僕って善人じゃなかったみたい」
「陛下が悪に染まってるのは俺が保証してやるよ」
「破壊者ルティヤなんて得体の知れないものの転生者だからなのかな? 最近は結構楽しんで、セラフィーナと浮気セックスさせてもらってるよ」
「単にセックスが好きなだけだろ。スケベ皇帝」
「そこは否定しない。セラフィーナとのセックスは好きになってきちゃった。虐めたくなるし、甘えたくもなる。不思議だよね」
「意外に仲は良好なのか? 優しそうな女性に見えたが、俺だったら自分を犯した相手と仲良くなれる気はしない……」
「微妙なところだよ。当人は誤魔化してるつもりなんだろうけど、僕への敵意をちょっと感じる。嘘をついて近付いてくる媚び女は大嫌い。最近、セラフィーナの心境に変化があったみたい。女の人って恐いね。嘘がお上手だ……」
「向こうにだって都合があるんだろ。聞く限りだと、セラフィーナ女王とは殺伐とした関係だな」
「それでも子作りに励んでる。仕事を兼ねてるからね」
「産まれてくる子供に心底同情する。自分の出生を知ったら鬱になるぞ。しかも、ヴィクトリカ王女だったか? 種違いの姉が敵になるかもしれないとなれば、とんでもなく陰惨な境遇だ」
「因縁ができようと血縁は⋯⋯強い繫がりだから。両親を知らずにいれば、幸せとも限らないよ」
「それはそうだが……、俺は両親と仲が悪いからな。いっそ何も知らなければ良かったと思ってるくらいだ」
「……ネルティはさ。僕と最初に会った日を覚えてる?」
「よく覚えてる。ウィルヘルミナ宰相閣下にずっと引っ付いていただろ。陛下は普通に可愛かった。だけど、周りの環境がよくなかっただろうな。今じゃこの有様だ」
「酷い言いようだ」
「あの可愛かった男の子が、隣国の女王を乱暴してくる悪漢か……」
「立派に成長してるじゃん。僕への評価が辛辣過ぎ。ネルティだって最初に会った時はもっと愛嬌があったよ。あれから十年と経ってないのに性格が荒んだね。あ〜やだやだ!」
「変わりもする。貴族の落し子だと思っていた遊び相手が皇帝だったんだぞ。仰天なんてもんじゃなかった。俺の性格が捻じ曲がるのは当然の結果だ。俺がどれだけの妃や女官から目の敵にされているか教えてやりたい」
「それでもネルティは親友だ。性格が捻じ曲がっても僕は好きだよ」
「陛下が性欲に負けて、押し倒してくるまでは、その純真な友情を信じていたよ」
「あれれ……? あれは合意セックスだったよね? 種付けしてほしいって、濃厚なキスを仕掛けたのはどっちだったかな〜」
「忘れた。覚えてない……」
「僕は覚えてるよ。勢い余って鼻をぶつけられたから。興奮じゃなくて強打での鼻血だったんだからね。アレ」
「忘れろよ。頼むから……」
ネルティは顔を赤らめながら誤魔化した。
最初に友情を裏切ったのはどちらであったろうか。
誘いをかけたのはネルティだった。肉体関係を結んでしまって、後戻りが許されない立場となった。しかし、それを選んだのはネルティ自身なのだ。
「忘れてあげてもいいけど、親友として相談に乗ってくれる?」
「内容による。俺は妃達の宮廷闘争に関わりたくない。近頃は宰相派と軍閥派の妃達がピリピリしている。政争関連なら、俺を当てにしないでくれ。近ごろのユイファン少将は不穏な動きをしているしな。陛下の周りには面倒な女しかいない」
「そんなに警戒しないでよ。ネルティってさ、僕の両親についてウィルヘルミナから聞いていることがあったりしない?」
「……陛下の出生はトップシークレットだ」
「へえ、そうなの?」
「軍務省で一時期話題になった噂がある。陛下は孤児じゃなく、ナイトレイ公爵家の血族だって噂話が流れた」
「それは知らない」
「俺みたいに宮廷の政治と程遠い奴でないと、陛下に伝えにくい話だからだろうな。しかも、ウィルヘルミナ宰相閣下に対する敵対行為だ。口を閉ざすのは当然だ……」
「その噂って、僕とウィルヘルミナが親戚ってこと?」
「それどころか親子説すらあったぞ。年齢差を考えたら絶対にありえないのにな」
「ここだけの話、僕もやばい歳で父親になってるけどね。ウィルヘルミナが僕の子供を産んだとき、ドン引きしてた人が多かったもん」
「陛下のは例外的なケースだろ。まあ、親子はともかくとして、親類はありえる。それを本気にした神官長のカティア猊下が本格的な身元調査をして……。そのまま下火になった」
「調査をして下火……? 結局、噂の真偽は不明?」
「ウィルヘルミナ宰相閣下が言っていた通りで、陛下は孤児で間違いないと判明した。俺はそう聞いてる。つまり、噂はデマだったんだろうさ」
「へえ。噂は否定されたんだ。その調査報告書って公文書館にあったりする?」