白月王城の貴賓館は、アルテナ王国に存在する館の中で、もっとも豪奢な建造物だ。
歴史的価値はもちろん、館内に飾られた絵画や調度品の数々は、アルテナ王国の国威を財力で表している。
本来は国賓をもてなすための宿泊施設だ。帝国軍に占領された現在、貴賓館は接収され、皇帝ベルゼフリートの宿泊施設となっている。
「あれから体調はどう? もう大丈夫そう?」
ベルゼフリートはセラフィーナを気遣う。
精神を取り乱し、吐瀉物を頭から被せてしまった件で、セラフィーナは皇帝に詫びるべきであるか迷った。
嘔吐の原因は眼前にいる少年との望まぬ性行為なのだ。ベルゼフリートの陵辱がなかったのなら、昼間の無礼も起こりえなかった。
「もう大丈夫です……。落ち着いていますわ。あの黒髪のメイド⋯⋯。ハスキーさんはいないのですね」
珍しく皇帝の近くに女官長ハスキーはいなかった。
「ハスキーは別の仕事があるんだってさ」
その代わり、3人の侍女が護衛についていた。
皇帝の周囲には必ず警務女官の侍女が控えている。室内に3人、扉の前に4人、さらに薙刀を構えた侍女が廊下を巡回している。
帝国軍は貴賓館の外周を固めている。選び抜かれた精鋭の帝国兵が、物々しい警備体制を敷いていた。上空からの侵入も想定し、飛獣に騎乗した魔術師の姿もあった。
「お互いに振り舞わされて大変だね」
「⋯⋯? どういうことでしょうか?」
「実を言うとね。僕はセラフィーナを呼んでいない。君を呼んだのは軍務省と女官なんだ。昼の一件があったからさ。今夜くらい、休ませてあげようと僕は思ってたんだ。またゲロを被りたくないし」
「帝国元帥の意向なら、従うしかないのでは?」
この日、ベルゼフリートは軍務省所属の上級将校と夕食を共にした。帝国元帥レオンハルトと帝国軍の諸将たちは、直接皇帝に指示を出していた。
「⋯⋯ところがさ、帝国内も一枚岩じゃないんだよ。二人の皇后から相反する命令が下ることもある」
セラフィーナには思い当たる節があった。ウィルヘルミナの名代として現れた外交官と名乗らなかった美女。あの者達は帝国元帥の邪魔をしようとしていた。
「いつもはちゃんと調整してくれるんだけど、今回は完全に食い違ってる。どちらに従えばいいのか僕はとっても悩んでいるよ」
ベルゼフリートはゆっくりと紅茶を啜る。
メガラニカ皇帝は常に中間管理職的な悩みを抱えていた。
「本当に酷いものだよ。レオンハルトはセラフィーナ女王を抱いて、さっさと子供を産ませろと言う。なのに、本国のウィルヘルミナはセラフィーナ女王は放っておけと言ってきたんだ」
「それでどうされるつもりなのでしょうか?」
セラフィーナは身構える。
連日の激しいセックスで女王の心身は疲弊していた。精神が破綻しかけている最中、リンジーからアルテナ王国を守るための謀略を託されてしまった。
それだけではない。間髪入れずに宰相派の外交官が現れ、軍閥派と女官の邪魔しろと求められた。
「どうしたらいいかなぁ……?」
幼帝が口にした言葉は、むしろセラフィーナが言いたい台詞だった。
皮肉にもベルゼフリートとセラフィーナは立場が似ている。メガラニカ帝国の皇帝は、女王の孤独を理解できる数少ない相手であったのかもしれない。
「私に意見や相談を求めているのですか……?」
「そんなにおかしい? 相反する命令が出ているのなら、どちらに従っても良いのだけどね。普段なら女官総長や別に皇后にお伺いを立てる。だけど、将来の妃に相談するの悪くなさそうかな? ほら、ずっと立ってたないで座ったらどう?」
促されてセラフィーナはソファーに腰を下ろす。
ベルゼフリートが視線で指示を出すと、侍女がセラフィーナのために紅茶と茶菓子を運んできた。
「リュート王子の葬儀をしたんだってね」
「ええ。さきほど終えてきたばかりです。私の喪服姿を見れば分かるのではありませんか?」
つい棘のある言い方になってしまった。
覚悟をきめたはずなのに、セラフィーナは未だに感情を殺し切れていない。しかし、怒りを表情に出さなかっただけでも大きな一歩だ。
「講和条約の調印式で、その喪服を着てたね。すごくお似合いだ」
「喪服が似合う女ですか? それは褒め言葉となっていませんわ」
「へえ。僕に褒めてもらいたいんだ?」
「っ! 単なる言葉の綾ですわ……っ!」
「まあいいや。ともかく、帝国の内輪揉めがセラフィーナにとっては、良い結果を生んだみたいだ。僕の口から言える言葉ではないけど良かったね」
皇帝は本心から言ってるように思えた。こうして話しているだけなら、メガラニカ帝国の皇帝は、ちょっと小生意気な少年だ。
(これも策略の一環なのかしら⋯⋯? ほだされてはいけないわ。こんなのは典型的な飴と鞭よ。宰相府と軍務省の対立があるとして、メガラニカ皇帝の本心はどっち? ベルゼフリートはどちら側……?)
くせ毛が特徴的な白の髪、小麦のパンをじっくりと焼いたような暗褐色の肌。
年齢は息子のリュートよりも若い13歳の幼帝。
性格はやんちゃな気質が見え隠れしている。それが本質であるとは限らない。深い紫の瞳は、底知れ無い思慮深を感じさせる。
「なんだか警戒されちゃってる。僕は飢えた野獣じゃない。いきなり襲ったりはしないよ。怯えなくたっていいじゃん」
「再び犯されると思っておりましたわ。用心するのは当然でしょう」
「セラフィーナの身体がドスケベなのが悪い。朝はセラフィーナのデカパイを見て、ムラムラしちゃったんだ」
ベルゼフリートはセラフィーナの爆乳を掴んだ。喪服を着た人妻の乳房を揉み始める。
「僕だって男の子だよ。皇帝の政務とは分けても、性欲には抗えないというか……、食えるものは美味しく食べちゃうタイプなんだ」
「それを客観的には、飢えた野獣というのではないかしら?」
「甘えたがりな小動物だよ。僕は襲うより、襲われるほうが多い。でも、そうだね。性欲が昂ぶったら、自分よりも大きな相手にも挑んじゃうかも?」
小悪魔的な笑みを作り、ベルゼフリートは舌舐めずりをする。
「それなら、今もその劣情を私に向けているの?」
「健全な男子はいつだって劣情を抱えているよ。普段は理性で抑えているだけ。ケダモノならどうなんだろうね。セラフィーナからすれば、僕の実像は野獣に近しいのかな?」
セラフィーナは言葉に詰まる。自分の年齢よりも遥かに下、半分ほどの年齢だというのに、その言い振りは達観していた。
「ああ、そうそう。僕からの求婚を断った件ね。その報せが帝国本土でちょっとした騒ぎを起こしている。軍務省の広報担当者は、拒絶じゃなくて保留だって言い張ってる。だけど、ご本人的にはどんなご心境?」
「決まっておりますわ。私の夫はガイゼフだけ。貴方との結婚はお断りですわ」
少なくとも今はこのように答えるべきだ。
まだ、ガイゼフ王とヴィクトリカ王女に勝機はある。
メガラニカ帝国から大きな譲歩を引き出せるまで、婚儀を結んではならない。公文書など反故にされない形で、主権を保障させる。
アルテナ王国を存続させると保障するまで、婚姻を結んではならない。それがリンジーからの提言だ。
——セラフィーナ女王の苦悩は深まっていく。
仮に皇帝との婚姻を認めるべき時期が到来したとしよう。そのとき、はたしてセラフィーナは国のために愛する夫と娘を切り捨てられるのか。