祖国を憂いて女王の救出作戦に参加したメンバー36人のうち、生存者はわずか5人。生き残ったのは貴賓館を襲撃して、帝国兵に捕縛された者達だけだった。
生存者の中にレンソンの名前もあった。駆け付けた帝国兵の応急処置が適切かつ迅速だったことが、レンソンの命を救った。しかし、それを幸いと言うべきかは分からない。
踏み潰されたレンソンの男性器は、壊死を起こしていた。医術師による治療も難しく、切除処置が行われた。切断された両足についても縫合できず、レンソンは歩行能力を失った。
男性機能だけでなく、騎士としてもレンソンは再起不能となった。
明朝、セラフィーナ女王はメガラニカ帝国に謝罪するとともに近衛騎士団に勅令を下した。その内容は近衛騎士団の即時解散を命じるものであった。
近衛騎士団の武装蜂起はアルテナ王国の法律に照らすと内乱罪および反逆罪に該当する。国主であるセラフィーナ女王を誘拐し、さらにはメガラニカ帝国と結んだ講和条約を踏み躙ろうとしたのだ
首謀者と加担した者は極刑。若輩の監督を怠った士官の責任も追及しなければならなかった。
騒動の顛末について、帝国元帥レオンハルトは寝台で寝転がりながら報告を受けた。皇帝ベルゼフリートは寝息をたてている。
政治的な判断を皇帝に求めたりはしない。ベルゼフリートは眠らせたままにしてあげた。酷使させてしまった、せめてもの償いだ。
「生き残った逆賊を助命しろと……? 私は貴国の主権に配慮して、王国の法律で裁くと言っているのだぞ」
レオンハルトは呆れ果てていた。
陳情に訪れたセラフィーナ女王は反論する。
「近衛騎士団には解散を命じました。今回の騒動は青年騎士らの暴走です。近衛騎士団の監督不届きは否定いたしません。しかし、組織的な反逆ではありません。何とぞ、寛大な措置をお願い申し上げますわ」
「武器を持って36人の騎士が押し寄せてきたのだぞ。どこからどう見ても組織的な反逆だ。今回の一件は帝国本土にも伝わる。王国領土で起こった事件であっても、皇帝陛下の滞在所である貴賓館へ侵入した。私が恐れた総督府は大使館に相当する。早々に処理しなければ神殿に司法介入される。面倒を起こしてくれたな……」
レオンハルトが警戒していたのは、神官長カティアを筆頭とする長老派だ。帝国の法と秩序を守る司法機関を牛耳るのは、長老派と呼ばれる長寿種の妃達であった。
「私は帝国の軍権を掌握している。しかし、2つだけ指揮権が及ばない軍事力がある。皇帝直属の警務女官。もう一つが最高裁判所直下の公安総局だ。公安は即決裁判権を持っている。あの連中がでしゃばってくると……面倒ごとがさらに増える」
メガラニカ帝国では、軍務省所管の国家憲兵隊が警察機能を担う。軍隊が警察を兼ねていた。
刑事裁判の訴追は、選挙で選ばれた護民官の仕事だ。護民官の所管は宰相府。軍務省は犯罪者を捕まえた後、裁判の訴追に関与できない。
本来なら分離されている「捜査」と「訴追」の権能。さらには「判決」。その強大な3つの権限を持っているのが、最高裁判所直下の公安総局であった。
公安総局は一般的な刑事事件を扱わない。捜査対象は政治権力者の汚職、大商人の経済犯罪、そして皇帝に関わる事柄である。
「今回の事件。皇帝陛下に対する暗殺未遂事件と見做されれば、公安総局が調査部隊を派遣するはずだ。当事者が生きていると、都合が悪い。さっさと処分してしまえ」
「それなら死刑したことにして、流刑にするのはどうです?」
「本国に虚偽を報告しろと? なぜ帝国元帥の私が、犯罪行為に手を染めなければならぬのだ? 虚偽の報告は軍法会議ものだぞ」
「そっ、それは……っ。その……。考えがいたりませんでしたわ……」
「怯えるな。私は怒っていない。貴公の愚かさは知っているつもりだ」
レオンハルトはセラフィーナを見下していた。敗戦国の女王だからという理由ではない。単純に君主としての器に欠けていた。
「慈悲深さも度が過ぎれば傲慢だ。しかし、そこは取引次第でもある」
「取引とはどういう……?」
「今回の一件に関し、バルカサロ王国が蠢動していた」
「⋯⋯どこにそのような証拠があるのですか?」
「愚問だな。近衛騎士団を扇動した者がいる。武器を入手する手際に関しては、褒めてやってもいい。牽制の意味も込めて、セラフィーナ女王の名で抗議してはどうか?」
「抗議……? バルカサロ王国に対してですか……!?」
「講和を阻むため、バルカサロ王国がセラフィーナ女王の暗殺を目論んだ。非難声明を発表をしてくれるのなら、私も貴公の我が侭に協力してやらんでもないぞ」
「……そんなことをしたら、我が国の信頼はどうなります……! バルカサロ王国との関係は破綻してしまいますわ。虚偽で他国を貶めるなど、外交儀礼に欠ける行為ですわ!」
「バルカサロ王国は度重なる内政干渉に加え、女王の暗殺を企てた。証拠は存在しないが事実だ。軍務省の参謀部はそう分析している。私も同意見だ。そういえば、貴公の夫であるガイゼフはバルカサロ王国の王族だったな。これこそ婚姻関係を解消する良い理由だ」
「……っ!!」
「皇帝陛下の王妃となり、私に仕えるのならばアルテナ王国の未来を保障しよう。悪くない条件のはずだ。昨日、皇帝陛下の不興を買ったと聞いている。だから、私が手助けしてやろう」
レオンハルトは熟睡しているベルゼフリートを優しく撫でる。愛しの夫を貸し出し、さらには王妃の座まで約束している。そのうえ国家の未来まで保障するとレオンハルトは提案する。
軍務省が提示できる最大限の条件であった。
「貴公のために皇帝陛下のご機嫌伺いをしていたのだぞ、私は⋯⋯」
セラフィーナは究極の選択を迫られる。
レオンハルトの狙いは明々白々だ。この取引に応じれば、アルテナ王国はバルカサロ王国と完全敵対となる。ガイゼフとの離縁を条件に、帝国元帥はセラフィーナ女王の庇護者となってくれる。
(——だけど、それはできませんわ)
ガイゼフとの離婚は最後の選択肢。残された唯一の切り札だ。
バルカサロ王国を完全に見限ると決めたとき、セラフィーナはガイゼフを切り捨てる。しかし、今はそのときではない。
「その取引には応じられません。私は別の道を選びますわ」
「私からの誘いを断ったこと。後悔するぞ」
「⋯⋯失礼させていただきます」
帝国元帥レオンハルトの協力は魅力的だ。しかし、確実な保障とは言えなかった。帝国宰相ウィルヘルミナと敵対したとき、全ての約束が引っくり返されるかもしれない。
(そうですわ。帝国宰相ウィルヘルミナ……! 昨日、私の書斎を訪れた外交官を通じて連絡すれば……)
セラフィーナはレオンハルトへの即答を避け、帝国宰相ウィルヘルミナとの接触を試みた。すぐさま総督府から退出し、メガラニカ帝国の大使を呼び出した。その行動は最善に近いものだったと言えよう。
◇ ◇ ◇
セラフィーナから事情を聞いた外交官は、すぐさま帝国本土のウィルヘルミナに連絡した。帝国軍から報告を受けていたが、より子細な事実を知った宰相府は迅速に動いた。
——その日の昼過ぎ、レンソンを含む生き残った襲撃犯5人に対する処分が決まった。
罪状は白月王城での騒乱罪。内乱罪は適用されず、罪科は無期の禁固刑となった。
帝国の最高権力者ウィルヘルミナがどのような手段を使ったのかは不明だ。しかし、軍務省と最高裁判所は沈黙し、異議申し立ては行われなかったという。
セラフィーナは最終手段を使わずにレンソンを助命できた。しかし、とてつもなく大きな借りを帝国宰相に作ってしまった。
レオンハルトと違って、ウィルヘルミナはあからさまな見返りを要求してこなかった。
(親切心で動いてくれるはずがないわ。どうして帝国宰相ウィルヘルミナは私に何も要求してこないのかしら……?)
セラフィーナに付いている帝国の女官は、護衛と監視をするだけで、相談相手とはならない。
リンジーの見解を聞きたいが、面会の許可がはきっと下りない。そこでセラフィーナは、ロレンシアと話し合おうとした。
仙薬を飲んで流産してしまったロレンシアは貴賓館で療養していた。医女の診断によると命に別状はないそうだ。体調は回復しているので、セラフィーナと共にロレンシアも帝国に出立すると決まった。
「帝国宰相ウィルヘルミナを頼ったのは安易だったのかしら……。どうしても彼らを助けたくて……」
室内にいるのは、セラフィーナとロレンシアだけだ。女官達は廊下に出てもらっていた。
「申し訳ございません。女王陛下をお守りするはずの近衛騎士団が、ご迷惑とご心労を……」
「ロレンシアが謝る必要はありません。祖国を憂うがゆえの行動だったのです。それをどうして責められましょう……」
今回の騒動はアルテナ王国の立場を悪くする「余計なこと」そのものであった。結果が示している通り、今回の一件で得をしたのはメガラニカ帝国だ。
「女王陛下。気になさらないでください。昨夜の出来事は、思い出すだけでも胸が痛みます。しかし、戦いでは必ず血が流れます。私達は一致団結して、メガラニカ帝国と戦わなければなりません」
ロレンシアは強い女性だった。夫を傷つけられ、我が子を失おうと泣き崩れない。帝国への反抗心を燃やしている。
「私はアルテナ王国の女王として、主権を守るために尽くすつもりです。今回の件で帝国の内情が少しだけ垣間見えました。帝国は宰相派、長老派、軍閥派の三勢力があり、その中で最も力を持つのが宰相派です。レオンハルト元帥は不届き者を処刑すると豪語しておりました。しかし、ウィルヘルミナ宰相にお頼みしたら、騎士達の助命がなされたのです」
「⋯⋯帝国宰相は私達に協力的なのですね。それなら利用していけばいいのです」
「利用するなんて、大それたことはできませんわ。私達だけでは勝機のない戦いです。それなら、方針が一致している宰相と交渉するべきだと思います。軍務省のレオンハルト元帥より、話が通じるかもしれませんわ」
もしもこの場にリンジーがいたのなら、セラフィーナとロレンシアを激しく叱っただろう。
ウィルヘルミナが味方となってくれたのは同情したからでも、善意によるものでもない。レオンハルトにすら見下されるセラフィーナが、政略の天才と謳われるウィルヘルミナを相手に交渉できるはずがなかった。
話が通じる相手は取引を提案したレオンハルトのほうである。そもそもウィルヘルミナはセラフィーナを一つの駒としか見做していない。
「レンソンの意識は戻っていないそうです。最後に一目だけでも会っていったらどうです? ひょっとしたら、私達は二度と祖国には帰れないかもしれませんわ……」
再び帝国宰相ウィルヘルミナに助力を求めれば面会は可能だ。ロレンシアのためであればとセラフィーナ女王は考える。
国のために尽くすと決めておきながら、未だにセラフィーナは身内を捨てられない。慈悲深い国母セラフィーナはどこまでも愚かしく、そして優しい女性だった。
「無用です。私達は再びアルテナ王国に戻ってきます。ガイゼフ王とヴィクトリカ王女は、バルカサロ王国で兵力を結集しています。今は耐え忍ぶ時。メガラニカ帝国の優位はいつまでも続きません。この屈辱は必ず返してやりましょう……!」
楽観的な未来を思い描き、傷ついた心を奮い立たせる。そういう未来が訪れてほしいとセラフィーナは望んでいた。
(たとえそうなっても、私とロレンシアの身体はどうなのでしょうか。女仙化を解除する方法がこの世にはあるといいのですが……)
女仙となった者は、他の人間と触れ合えない。接触するだけで魂を削り取り、寿命を消し飛ばしてしまう。ロレンシアの子宮に宿っていた小さな命すら例外ではなかった。
(皇帝に穢された私を……ガイゼフは再び受け入れてくれるのでしょうか……)
セラフィーナは、皇帝ベルゼフリートの子供を産んでしまったらと震える。辱められたばかりでなく、血の繋がった子供ができたら、もはやこれまでと同じ関係は維持できない。それでもセラフィーナは愛に固執する。
(たとえ……どれだけ穢れようとも、愛する人から軽蔑されたとしても……、夫を慕う私の心はけして変わりませんわ……)