小説のネタ作りもかねて藝祭2024のショート映画を見てきました。
各作品のパンフを取り忘れたので、上映作品はさっぱり覚えてませんが、一番記憶に残ったのは「神々来々」という作品。あれは作者の実体験だったのだろうか?
白線の上を歩きながらの独白が特徴的。一人称、僕の女主人公が赤ん坊から高校までを辿っていくストーリーでした。尖ってるなぁと思いつつ、共感するところあり、ドン引きもあり⋯⋯。ただ他作品に比べて飛び抜けていたとは思いました。
神様(キリスト教)の言葉だとか、地獄に墜ちるぞ(仏教&日本的な考え)は、たしかに言い聞かせてる側は常に上位。義務教育を終えて、高校生になれば先生や校則、グループのリーダー的な生徒に束縛される。自分の暴力性・内心・本音を〈神様〉と言い換えるのは、新しい観点だと思いました。
他の作品が自分を隠している中で、一番曝け出しているのは好感が持てましたね。自分を良く見せるつもりは、まったくないのがいい。
乳飲み子が母乳を欲して張ってくる様子に母親が戦慄するというのは、リアルティ&解像度が高い。
教師に「地球も動くし、太陽も動く」とか、こういう正論を賢しげに説く子供はまず間違いなく好かれない。 生き方が不器用とも、自由とも言える。
自分の本心、本音、暴力性を「神様」にしたのは本当にユニーク。一時的であろうと神(本音)よりは居場所を選択しているので、社会性が皆無というわけでもない。
これは実体験を元にしているのか⋯⋯。 大部分は作者の体験な気がする。ちょっとだけフィクションっぽさを覚えたのは孤独・孤立に対する描写がないところ。
羊の群れに異物が入り込むと、爪弾きにされるんだけどな。同級生に嫌われるのは分かるけど、後輩に慕われてた演劇部での描写は、ちょっと分からない。
まあ、学校生活で友達や親しい人が一人もいないってほうが描写としてはおかしいか。
事の発端になった後輩は、主人公と部長&顧問、どちらを選んだのだろう⋯⋯。気不味いだろうなぁ。
もう一つ気になったのは、タイトルが複数形の「神々来々」であって単数形「神様来訪」じゃなかったのか。
「来々」が中国語的な意味で「来て!来て!」ならば分かるけども、神々とは何だろ⋯⋯? 機会があれば、もう一回、見返してみたい作品。
神々来々、単なる語呂でタイトルを決めたのだろうか、それとも⋯⋯?