「――腫瘍細胞の全身転移が判明した。医学的にはステージⅣに分類される」
医師は十二歳の少年に告知した。
ステージ四は病巣が全身に広がった最終段階を意味する。 残酷な診断結果を笑い飛ばし、少年はおどけてみせる。
「そいつはすげえ。ステージⅤは?」
「ない。ステージⅣが末期を意味する。君の症例は世界的にも非常に珍しい。主治医である私の見解は異なるが、病院側は君の余命を一年と見積もっている」
「まいったな。先生……。エイプリルフールは一昨日だぜ?」
「私はそういう行事に興味関心がない人間だ」
「……。余命宣告ってさ、未成年の俺に言って言いわけ?」
「ご両親には説明している。だが、君には教えないだろう。だから、伝えておくことにした」
「ありがたいね。死ぬ前に読みかけの小説を全部読破しなきゃな」
ライトノベルを大仰に開帳する。栞を挟んだページには、美少女キャラの裸体が描かれている。必要最低限の局部は隠されているが、全年齢向けとは思えぬ過激な性的描写が目立つ。
「……その小説を読むのは進めない。内容がくだらない」
「その選評は内容を読んでからにしたら? 目の前にいる余命いくばくもないファンに失礼だよ。先生」
「……最終巻の発売日は未定。早くても再来年だ」
少年は読みかけのファンタジー小説をベッドに置いた。
「わざわざ調べてくれたんだ?」
「書店で見かけただけだ」
「人気作ってわけでもないし、店員に聞くか、ネットで調べなきゃ分からんでしょ。いつもの先生らしくないな。患者の余命が一年だからセンチメンタルになってる? 優しいじゃん」
「患者に寄り添うのは医師の仕事だ」
「じゃあ、先生の見解を教えて。病院側とは違う意見なんでしょ。そっちを信じるよ。俺の寿命はどれくらい?」
「分からない……。先例が一件もない稀有な症例だ」
「いいね。じゃあ、不死身って可能性もあるわけだ。希望が湧いてきた」
「…………。腫瘍細胞のメカニズムを完璧に解き明かせば、人類は不老不死になれる。そういう説を主張する研究者はいる」
「さっきのは冗談だったんだけど……? 本気? 真面目に返されちゃった。今日はいつもの先生らしくないな。このままだとドライアイスより冷たいって定評が覆っちゃう。普段だったら子供相手でも大人げなく『くだらない本ばかり読んでいたら、くだらない人生を送るぞ』って切り捨てるじゃん」
「大学病院と政府は君の医療費を全額負担している。慈善的な理由ではない。君の病気は人類を不老不死に導く可能性を秘めている。これは事実だ。医学界だけでなく、大手メディアも君に注目した」
「取材系はぜーんぶ、先生が断ったじゃん。俺の病気が不老不死の鍵ね……。でも、俺は死にかけている。今年になってから、歩けなくなった。ナメクジ以下の筋力しか残ってないぜ。ラノベを持ち上げるのも一苦労だ。そのうち、指先どころか、瞼すら開けられなくなるかも。あー、やだやだ。本が読めないのは困る」
「そこまでして読むのが、その低俗な小説か……? もっと教養のある本を読むべきだ」
「大衆小説だって教養じゃない?」
「それは大衆小説以下だろう。児童書とも言えん。私には分からないな。……くだらん空想に耽る人間の気持ちは理解に苦しむ」
「先生がお薦めする本って、古典ばっかりじゃん。そんなのを読む子供がいる?」
「私は幼少期に読んでたぞ」
「先生は気張りすぎ。もっとさ、くだらない本を読むべきだったんじゃない? 人生は無駄使いすべきだ。そうじゃなきゃ、面白くない」
少年は肩真面目な医師に読みかけのライトノベルを差し出した。表紙にはドラゴンが描かれている。本を手に取った医師は仏頂面だ。
「これ、本当に子供向けか……? イラストにほぼ全裸の少女が描かれてるぞ」
「それ。エルフだから三〇〇歳越えの老女キャラだよ? のじゃロリ婆の神官長カティア。合法ロリ。先生はもっと異世界ファンタジーを勉強しなよー。トラックに轢き殺されて異世界転移とかはかなりメジャーなジャンル。実は読者層も高いんだよ。先生くらいの人も読んでる。ブラックな社会に嫌気がさして、来世に期待しちゃうんだろうなぁ」
「異世界なんて存在しない。人間の空想だ。死後の世界はない。人間の妄想だ。死者は蘇らない。人間の願望だ。――この世に魔法や奇跡はない」
「詰まんない感性。先生ってさ。無宗教で無神論者でしょ。子供のころにサンタクロースを信じてないタイプ。この世界じゃ圧倒的に少数派だ。人類の大半はね、死後の世界を信じているんだ。最後の日に全人類が復活して、審判を受けるって話もあるよ。世界一売れたベストセラー本に書いてある」
「未婚の処女が男子を産むくらいの信憑性だな」
「うわぁ……。痛烈。まぁ、でもさ、答え合わせは死後にしかできない。先に答えを知るのは俺だ」
「そうだな。この低俗なエロ本は返す。別の仕事がある。何かあればナースコールで呼びたまえ」
「その本は先生にあげるよ。物語の完結まで読めないなら、意味ないしさ。最終巻は早くても再来年だっけ? 俺はこの世にいないかもしれない。残念。――まあ、打ち切りじゃないだけマシだな」
「余命宣告は病院の見解だ。不老不死などというくだらない研究に取り憑かれている病院や政府と違って、主治医である私の仕事は、君を一秒でも長く生かすことだ。最後まで読め。そのために私は力を尽くす」
「…………。先生ってさ、嫌な性格してるけど善い人だよな」
「知らなかったか? それが数少ない私の美徳だ。気に食わないことには抗い続けた。だから、理不尽な運命を覆すために医者を目指した。私の足掻きに付き合う気はないのか? 君、次第だ」
「オッケー。じゃあ、頑張るよ。やる気が出てきた。俺も運命に抗う。それが数少ない俺の美徳だ」
余命はたったの一年。日本でもっとも権威のある大学病院の診断は大外れであった。主治医は死に物狂いで、残酷な死の運命を覆そうと奮闘した。患者も死力を尽く、最期まで抗った。
四年後の冬。――如月神夢威はこの世を去った。十六歳の少年だった。
◆ ◆ ◆
淀んだ深淵に意識が沈む。闇の底で眩い光が煌めく。絶命は一瞬であったように思えたし、永劫の時間を過ごした気もした。永眠から目覚めるとキサラギは霧深い森を彷徨っていた。
「……?」
両足で地面を踏んでいる。指先に力が入る。ずっと開かなかった瞼を見開いて、原生林の風景を眺めた。まだ現実感が乏しい。まるで夢を見ているようだった。
「ここは? あの世か……? はははっ……! 何だよ。やっぱり、あるんじゃないか。先生は間違ってたな。自信満々だったくせに……。科学と医学ばっかりで、オカルトを貶してたけど、死後にも世界はあった」
寒さは感じない。
身にまとっているのは漆黒の襤褸布だけだ。
「さて、問題はここが地獄と天国のどちらかってことだ。初期装備は真っ黒な襤褸布だけかよ。病院服は嫌だけど、まともな服を着させてくれ。死に装束をケチりすぎだろ」
自分の肉体を確認してみる。痩せ細っているが、健康体だった。
「おぉっ、髪の毛が復活してるじゃん。いいね。しかも黒髪だ! これは嬉しい! 十四歳のとき、総白髪も抜け落ちちゃったからな。あっ! ひょっとして……! これって十三歳の身体か!? そんな気がするぜ」
カムイは十二歳で余命一年を宣告された。本来ならば十三歳で死ぬ運命になった。それを気力で生き永らえ、十六歳まで粘った。死後の世界では十三歳の身体に戻っていた。
「なるほどな。この痩せ具合。三年前の感じだ。幸先がいい。身体の自由が利く。あの世でも寝たきりじゃ詰まらない」
周囲を見渡すが、濃い霧が辺り一面を覆っている森だ。
「……てか、案内人とかいないの? あの世ってセルフ式?」
文句を言いながら、自分の両足で歩き回れる喜びを味わう。誰の助けも借りずに動ける。当たり前の幸せが心を充足させる。
カムイが迷い込んだ森は人の手が入っていない原生林だった。見たことのない樹木が天高く伸び、大空を枝葉で覆っていた。日光が地表に届かないせいで、低木は淘汰されている。
「あの世って思ったよりも生態系が豊かだな」
樹液に群がる昆虫を見つけた。不思議な形の甲虫はカムイが近づいても逃げない。試しに指先で触れてみる。
「……逃げないのか? いや、触れていない?」
甲虫を掴み上げようとしたが駄目だった。感触はある。だが、動かせない。
「俺って幽霊……? 足はあるぞ? 地面には立ってる」
地面を踏んでみた。足の裏で腐葉土を踏んでいる感覚がある。
「生物に触れられない感じ?」
足元に落ちていた枯れ枝を掴む。だが、持ち上げられなかった。
「…………。動かねえ。重いわけでも、すり抜けるわけでもないのに……なんで?」
考えたところで答えは出ない。
「石ころも駄目か……。裸足で踏んずけても痛くないからいいけど……。霊体? 魂だけになってるのか? 意味わからん。おもしろ。ファンタジーじゃん」
さらに進んでみようと前方を見た瞬間、白い霧の中で揺らめく人影を視界に捉えた。
「お? 誰かいる……!」
カムイは小走りで森を駆ける。呼吸が乱れる。だが、酸欠の感覚とは何かが決定的に違った。細胞に疲労は溜まらず、魂そのものが弱まる。魂魄にも体力があるのだと実感した。
(外国人……? ん? いや、人間じゃない? 頭に角があるぞ?)
血塗れの女戦士は絶命寸前だった。体中に大きな傷がある。猛獣に引き裂かれたかのような致命傷。大地には血が滲んでいた。
「何だ。貴様は……? 魔物の追手……じゃないな……。幽世の森に棲むという古の精霊か?」
苔の生えた大岩に背中を預けて、死にかけの女戦士はキサラギに問う。日本語を喋っていない。しかし、キサラギには異世界の言葉が理解できた。自分もその言葉を話せるようになっていた。
「精霊ってか、亡霊だ。……酷い傷だな。喋らないほうが良さそうに見えるぜ」
「ごほっ! ぐほぉっ!」
女戦士は血反吐を吐き捨てる。肺に血が入り込み、上手く呼吸ができていない。
「大量の出血だ。これじゃ止血しても……。素人目に見ても手遅れだ。しかも、この火傷……。溶岩を泳いできたみたいだな。このままだとお前は死ぬよ」
「小童……。亡霊と抜かしたな?」
「俺は死んでるからな。お前は死者と話しているぞ」
「ならば、貴様は冥界の使者か? 最悪だ……」
とても美しい女性であったが、鍛えられた肉体と凛々しい顔立ちは、勇猛さが大きく勝っている。戦いに敗れて逃げてきたようだが、命懸けの死闘を繰り広げたことは容易に想像できる。
(何かに襲われたみたいだ。……殺伐としてるな。治安が悪そうだ)
握り続けている長剣には、紫色の鮮血が滴っていた。
(なんか……。世界観が違う気ような……? あの世か……? むしろ……ここって俗に言う異世界か?)
キサラギは女戦士の風体を間近で観察してみる。値踏みするように細部を確かめていく。頭からドラゴンの角が生えていた。立派な二本の捻じれ角だ。よく見ると尻尾も生えていた。服装は民族衣装色の強い皮鎧。プラチナブロンドの長髪は血染めの穢れが目立つ。
鍛え上げられた女体に備わった豊満なる乳房。けれど、美女の艶めかしい媚態よりも、焼け焦げた腹部の大穴に吸い込まれる。臓腑が炭化していた。生きながらに焼かれ、それでも彼女は生きている。近づくと火の粉が舞った。業炎の残り火が傷口で燻っていた。
「こんな身体でよく生きていられるもんだ。……長剣に付着した紫色の血は? お前の血じゃないな。何の血だ?」
「はぁはぁ……うっ……。魔物の血に決まっているだろう……」
「魔物の返り血? 魔物と戦ってたのか?」
この世界には魔物が存在する。そして、その血液は紫色だと知った。
「里が襲撃を受けた。竜人結界を破られた……。魔天使が魔獣の大軍を率いて押し寄せてきた。戦ったが……この様だ……ぐっ……げほっ……!!」
「竜人ね。ご説明どうも。通りで。その見た目。普通の人間と違うみたいだが、その負傷はヤバいだろ。治療魔法とかで治せないのか?」
魔物がいる世界だ。魔法くらい実在しているだろうと当たりを付けた。
「魔法を……使えない……。私は戦士だ……」
「じゃあ、助けが来なければ死ぬしかないわけだ」
「来ない……。里の者達は皆殺しにされた……。私が最後の生き残りだ」
「俺の知り合いに名医がいるんだ。最高に性格が悪くて、めっちゃ腕の良い最高のお医者様。……だけど、ここには連れてこれない。仮に助けを呼べても、その重傷じゃもう無理だ。死相が出てるぜ。俺にできることはなさそう。悪いな」
キサラギは両手を合わせる。
竜人の女戦士は死期を悟る。息も絶え絶えに、悲涙の雫を流し、最期の言葉を呟いた。
「――嫌だ。死にたくない」
生と死の狭間で魂は叫ぶ。その瞬間、キサラギは己の能力を認識した。
異世界に降誕せし、この世ならざるもの。キサラギは死の化身であった。死は契約によって生者に加護を与える。
「――生者の魂に問う。汝、契約を交わすか?」
キサラギの舌が勝手に動き、女戦士に契約を提案する。身に纏う漆黒の襤褸布から糸が解れ、細い糸が空中を踊り舞い、長ったらしい契約の全文を紡ぎだした。
――――――――――
第一条「加護」
本契約の有効期間中、生者は死に至ることはないものとする。
第二条「手続」
本契約は契約全文を開示した上で、生者の自由意志に基づき締結されるものとする。
第三条「誓約」
死はいかなる存在をも殺傷しないものとする。
第四条「権利」
死は捧げられた供物を所有する。
第五条「帰属」
死を殺傷した者は死に帰属する。
第六条「契約の記録、変更および破棄」
第一条以降の契約全文は、指輪に記録されるものとする。本則に反しない限り、双方の合意に基づき、契約の変更または追加を行うことができる。契約者が自己の意思により指輪を棄てた場合、本契約は破棄されたものとみなす。
――――――――――
死の化身は生者に契約を迫る。異世界に降り立ったサラギは超常の存在。絶命の淵にいる女戦士が生き延びる唯一無二の手段が提示された。
契約の第一条によって与えられる「加護」は永生を意味する。
どのような方法で殺害を試みても、契約者は絶対に生き続ける。臓腑を黒焦げにされていようが、致死量の血を垂れ流していようが、生命は失われない。
「この世界だと俺は死■だ。……ん? あれ? ■って言えない? この世界だと■様って概念がないのか? すごいな。まぁいいか。俺は死の化身みたいだ。実際、死んだことがある。俺と契約すれば、お前は助かるみたいだぞ。良かったな。死にたくないんだろ?」
「貴様……。精霊ではないな! 魔物ですらない……! 冥界から這い出た魑魅魍魎か……!!」
凄まじい形相で睨みつけてくる。手を差し伸べているにもかかわらず、猛烈な嫌悪と警戒心を向けられた。
「安心してくれ。俺には分かるんだ。この契約は絶対に確かなものだ。『本契約の有効期間中、生者は死に至ることはないものとする』死にたくないというのなら、契約に応じるべきだ。俺は第二条に基づき、契約全文を開示した。あとは、そちらの返答次第さ。さぁ、どうする?」
「口の達者な化け物が……!」
「予想外の反応だな。悪くない契約内容じゃん。もっと喜んでもらえるかと……」
「…………」
「死生観や道徳に反するのか? 里を魔物に襲われたんだろ。永生の加護を得れば復讐できるぞ。どんな攻撃を受けても死なない。無敵の身体だ。……やられっぱなしで死ぬのが望みか?」
「……悪辣な奴だ」
「たぶん、今は仮契約中だ。今際の際ってヤツ。だから、まだお前は生かされている。この状態は長続きしないぞ。契約の意思がなければ、お互いにさようならだ」
「邪悪な死の化身め……。いいだろう。私に永遠の命を与えろ!! 我が名はゼフィラ! 竜人族の戦士! 同胞の仇を……! 復讐のために貴様と契約してやる……!!」
苦渋の決断だった。
得体の知れぬ異形と取引を交わす。相手が禁忌の存在であるのは分かっていた。それでも気高き竜人族の女戦士は復讐を選んだ。愛する故郷を踏み躙り、同胞を皆殺しにした魔物を殺したかった。
「――代償は支払われた。ここに永生の契約は結ばれた」
死の化身は身毛がよだつ笑みを浮かべ、竜人の女戦士ゼフィラと契約を交わした。
空中で契約文を紡いでいた黒糸が凝結し、漆黒の指輪が形成される。キサラギはゼフィラの左手を取り、薬指に契約の指輪を填めた。契約の指輪を棄てない限り、その者は死に至ることはない。
ゼフィラの致命傷は、ほんの数秒で完治した。損傷の超再生、肉体の再構築。焼け焦げた腹部の大穴が塞がり、失われた血液が再生成される。
「死の化身よ。貴様の名前を聞かせてほしい」
傷の癒えたゼフィラは立ち上がり、救い主の少年を見下ろした。
「キサラギ・■■■」
「……? 何と言った? きさらぎ……?」
「あぁ……悪い。下の名前は駄目っぽい。こっちじゃ発音できない。キサラギって呼んでくれればいい。これからよろしく。俺はこの世界について、何にも知らないんだ。――ちなみに、こっちの押し寄せてるモンスターの群れ。あれがゼフィラの里を襲った魔物か?」
「そうだ。来たな。魔物どもめ。血の匂いを追ってきたか……」
「どうすんの? 逃げる? 数が多いぞ」
「いいや。傷は完治した。身体が動く……!! 感謝するぞ。死の化身キサラギ! 貴様のおかげで、私は奴らを皆殺しにできる……!!」



